2021-03-17

納冨栄太エピソード-少年時代

好きすぎて

栄太少年、8人兄弟の下から2番目であった。3歳の頃のこんな話がある。勝気な栄太少年、父が大好きで、 片時も離れたくない。父は栄太少年がそばにぴったりとくっつくので窮屈で食事することができない。父「栄 太、ちょっとだけ離れてくれんか」その瞬間に少年は一番端に飛び*「そいぎ、わたちゃここにおらんばかんた」 とふくれたらしい。かわいいエピソードである。まだ足は健常だった。

昭和の家庭では鶏を絞めて食することはごく普通に行われていた。親はだれでも子どもを分け隔てしていると は思わないが子供からはそうは映らないのが大方の子どもたちの意見である。時には父親が好きすぎて妹もね たみの対象になる。栄太兄「マサエ、お水を汲んできてもらえんやろうか」蛇口にはわざと鶏の頭が置いてあ る。栄太少年、ほくそ笑む。それとは知らずに妹は水を汲みに。妹の悲鳴に父はすかさず「えーた」。親はお見通しなのである。

*そうしますとと私はここにいないといけないのですか? の意

芋と障がい

 活発な少年が足の炎症がもとで障がい者となった。2年ほど遅れて復学するも他の学生とはもはや同じような 作業はできなかった。学校の授業で芋を植えてその収穫した芋を食する時間があった。いつもお腹がすいていた栄太少年なのに、なぜか一人、教室から消えていた。すると先生は皆に「いいかー。みんな。栄太君が 戻るまでは芋は食べちゃいかんぞ。さあ、みんなで探すぞ」 生徒たち全員で栄太少年を探した。そして隠れていたところを発見される。なぜ隠れていたかその理由を尋ねられ「自分は芋を植えてもいないのに食べるわけにはいかない。」 栄太氏のベースのキャラクターが見えるエピソードである。彼は生涯自分を探してくれたその恩師の温かさと公正さを忘れなかった。

ひろし兄さん

手に職をつけさせるため親は栄太氏に絵を学ばせ東京の私立の美大に通わせる。寮ではなく下宿で、しかも障 害を持っている。親兄弟の支援は一心に障害を持つ栄太に向けられていた。栄太のすぐ上にひろし兄さんがい た。そのひろし兄さん、愛する婚約者がいたが結婚前に脳腫瘍で亡くなった。「自分が死んでも絶対に大学は辞 てはいけないよ。」父親と同様死にゆく際も弟栄太の将来を心配した。東京の美大を卒業し二科展にも出展し個 展も開けるようになった。誰かが高額で自分の油絵を買ってくれたと聞いた。後でわかったが死んだひろし兄 さんの婚約者の兄様だった。

愛犬ダリ

栄太氏ゴッホが好きと聞いた。でも本当はダリの繊細な白の輝きが好きだったのではと憶測した人もいる。栄 太氏の三田川時代に買っていた白い犬の名前はダリ。そういえば常識にとらわれたくない強い思いが作風にも 表れているのではないか。

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